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2015年8月のありがとう
イメージ画像 本当を考える シリーズ(2)
〜 憲法9条があったから平和であった? 〜

 憲法9条があるから平和だったという論があります。
 が、これは錯覚でしかありません。
 日本の平和は、米軍の駐留を認め、他国の侵略等の事態になれば、米国に助けて貰う日米安保条約の傘に守られていたに過ぎません。

 つまり一国平和主義とは、強力なお助け部隊がいて成立するものです。
 このお助け部隊が、要求する基地や軍の展開等について、アメリカのリーダーシップの下にあるということを、当然認めねばなりません。
 とすれば、基地反対という文脈も、これらの現状認識を深め対処する必要があります。
 勿論、沖縄県民の基地反対の声を当然と評価した上で、日本国全体として沖縄の痛み、辛さ、不安等々を共有し、代替地や他の解決手段があるかを、同盟関係を含め検討すべきなのです。

 安倍首相の積極的平和主義は、一国での平和維持は困難になってきているので、みんなで不法行為や国際法上の侵犯について、それぞれの国が応分の負担をし、平和を守りましょう、ということになったのだと思います。
 これは自由主義、民主主義、資本主義の3点主義の帰結なのです。

 日本の主権確立には、現憲法の本質的な成立過程からどう考え、自衛隊のあり方にももっと本質的な国民的議論を必要としています。
 平和というものは、古くはパックス・ロマーナ、現在パックス・アメリカーナという。
 このパックスは、ラテン語で平和をいう。
 しかしこの平和は、軍事力により支えられたものである。
 つまり力を背景に成立するものであって、9条があるから平和であるということではありません。
 その力を冷戦構造からのドミノ理論より、日本が共産化しないようにと、アメリカが日本を支えたのである。

 米ソ冷戦構造の中で成立した安保条約も、ソ連の崩壊により、その意味を減衰させて、その間の事情をフランシス・フクヤマ氏は『歴史の終わり』(1989年)とした書を上梓しました。
 しかし歴史の終わりは、フランシス・フクヤマ氏の言うが如くでないと、サミュエル・P・ハンティントンは、新しい『文明の衝突』として始まったとしています。
 こうした戦後レジーム(構造)を良くよく分った上で、国民の一人ひとりが自覚し、新しい未来に向かうべきなのです。

井上 健雄

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