2010年6月のありがとう
小さな一歩の変革から

 今のままでは地球はもたないと思っている。しかし生活を変えようとしない。
 ほんの少し昔を振り返ってもいろいろある。江戸時代は循環型社会であったし、平安時代には死刑制度もなかった。
 グレコ・ローマン文明は、耕作限界は年間雨量500〜550mmと言われている中、年間500mmで花開いたのである。農耕は大変な苦労を強いられたであろうと思われる。しかしその工夫がグレコ・ローマン文明となったのも事実である。
 智慧は欠乏より生じると言えば、言い過ぎだろうか。
 つまり今の社会制度に捕らわれずに、歴史に学ぶことが必要である。

 しかしこれが難しい。変えるのは。
 政治を見れば分かる。変革を訴え圧勝した民主党が、基地問題を変えられず、反官僚が親官僚になり、あげくに税についてもムダカットで対応し消費税に手をつけないと言っていたのに、消費税10%まで打ち出している。その上、高速道路無料化から子供手当等々、こんなマニフェストを守らない政権が日本に幅を利かせている。(ただ言えることは、なにも約束しなかった政党は無傷でいられるし、マニフェストを実行できないのは野党であるからだという愚痴を言う輩さえいる)
 本当に残念な日本人、私たちである。
 小さい事でもできるマニフェストを宣言してくれれば、私たちはそれを評価する。その小さな積み重ねこそが、変化となるのだから。
 変えないと駄目な世の中だけど、変えられない雁字搦めの中にいる。
 必要なのは、まず足元の一歩のためのビジョンと、それに懸ける情熱と実践力である。小さくても、実行の為には蛮勇を振う勇気と決断力が不可欠である。
 14世紀〜18世紀にかけて森が裸になってしまったのは、木々が明かりに、そして煮炊きや暖をとる熱源に、そして動力源に利用されたからである。18世紀のあの天才音楽家モーツアルトにしても、棺桶はリースであったのである。

 私たちは変えねばならない。
 社会認識を、政権の姿勢を、資本主義社会のあり方を、生き方を。
 こうした変革を進める中で進むべき一歩は、各種の相反する要素を止揚した創造をすることである。
 私たちの一歩が小さくても大丈夫。その一歩一歩の歩みを続けることで、変革者となり生存が許されるのであるから…

今月もありがとう。

井上 健雄