エコロジー研究会
クライシスに陥らない為のリスクマネジメント
みずほパートナーズ法律事務所弁護士 増田 健郎 氏
エコロジー研究会(H18.12.15)より

Q.コンプライアンスは法令順守とは違うと言われますが、どのように異なるのでしょうか。

 例えば「人を殺してはいけない」というのは常識で、モラルとしても当然です。しかし「道路は右側を歩く」になると、道徳的判断は難しい。モラルを高めるために法律になるケースもあれば、社会のルールとして法律になるケースもありますから、法律順守という意味でのコンプライアンスは非常に狭いものでしかない。
 また法律以外にも施行規則や施行令があり、関連する法律があります。さらに行政の通達や通知、裁判例、それらを全部ひっくるめて法律の世界ができています。
 コンプライアンスは基本的には法令を守るということですが、守る体制、守らない者の規制、守らせるためのリスクヘッジ、それらを全部ひっくるめてコンプライアンスの体制とみています。現在あるものを守るというのは最低限の条件であって、もっと広い意味でのコンプライアンスが常に要求されているということです。


Q.法律はいつでも遅れていて、現実とのギャップがありますが、どうすればそのギャップはなくなりますか。

 法律はそもそも非常に保守的なんです。我々も過去のケースを学んで現行の法律などを解釈していく。裁判をやる時にはあくまでも今存在するものを対象にして解釈論を展開しなくちゃいけない。
 けれど、社会のニーズは法律を超えて動いていますから、追っかけ追っかけということになりますね。事故が起こってから標識を付けるというレベルで、結局法律というのはそういう役割しか果たしていないんです。
 じゃあ現実のニーズに応じた規制をどうするかというと、まさにコンプライアンスの問題です。今存在している法律との比較の中で、恐らくこれはこうなるだろう、というのがある程度読める企業でなくちゃいけません。


Q.それでは社会からみてグッドであるために、どういうことを心がけていくべきでしょうか。

 引っ掛かりさえしなければいいという考えでやるのと、本当にその意味を理解して、もう一歩先んじてやろうという姿勢でやるのとは全然違います。企業の場合はその存在自体にそれなりの意義があると同時に、社会的責任も常に負っていますから、その辺をにらみながら経営をやっていく経営者が出てこなくちゃいけません。


Q.1990年の長崎屋の火災は消防法には触れていなかったということですが、規制についてどうお考えですか。

 長崎屋の火災は今起これば当然違反です。あの時点では法律がついていっていなかったわけです。そういう経験を通して、社会は一歩賢くなる。それを法律のレベルにまで上げるという形で、社会を守っていく、他の方に迷惑をかけない体制を創っていくということです。
 やはりその時点での建物の建築状況などがありますから、過去にオッケーになった場合には、現在も一応通用するけど、今度創り直すことになったら引っ掛かる、というケースはいくらでもあるんですね。


Q.CSRの始まりはダウケミカルが枯葉剤の生産中止を要求された事件と聞いていますが、どういうことですか。

 アメリカの株主は適当だと思う経営者を選んで会社の運営を任せることが多いです。その代わり、最終的に株主の意思に合わない場合や株主に損害を与える場合には、経営者を変えるわけです。これを経営者支配といいます。
 株主は自分の利益を中心に考えますが、経営者は企業の在り方や社会的責任を考慮しながら会社を運営しなければならない。そういうことが本当にできる企業が社会的に評価されて、その会社は伸びるわけですね。
 会社が社会の信頼を裏切るような行為をしないようにしなければならないという時代になってきています。社会のニーズや社会的責任と、利益追求という問題を、うまく調整してやる。このようなことが言われるようになったきっかけとして、ダウケミカルの事件があります。


Q.今までは経営者が支配していたけれども、今度は株主が声をあげだした、ということでしょうか。

 ダウケミカルはむしろ稀なケースで、普通、株主は利益をすごく要求するんです。
 経営者は株主の一利益ではなくて、社会の利益、もしくは社会的責任を果たせるような企業にしなくちゃいけない。それが一方では社会的利益につながるんですが、往々にすると時間がかかったり、一時的には会社の利益に反したりするものですから、対立して排除される。ですから基本的には株主のアクションを期待するんではなくて、経営者自身が襟を正して、常に社会的責任を考えた活動をしなくちゃいけないということです。


Q.トップと事業部長ではリスクマネジメントの感覚が異なると思います。トップはどう対応したらよいでしょうか。

 企業はリスクと利益とを秤にかけ、限界曲線を引き、リスクの可能性が一番低く、かつ利益が最大のところで勝負しようとするわけです。
 本来はリスクと利益を秤にかけてはいけないですね。なのに、リスクマネジメント=コストであるということで、コスト感覚だけで考えてしまうわけです。
 安全のためのコストは別枠で取るとか、安全という要素を高めたうえでの限界曲線を引くとか、ほんの少しでもリスクマネジメントにコストをかけるという姿勢をとれば、多くの事件や事件は回避できるんです。


Q.エンドユーザーをもっと考えるのがリスクマネジメントだということでしょうか。

 グリーンコンシューマーという考え方があります。例えば環境にやさしい商品は高い場合が多いんですが、高くても安全なもの、健康に資するものがいいという考え方をすれば、たくさん売れるということになるんですね。
 株主の目から見ると、できるだけ安く作って儲けてくれということになりますが、消費者の意識が高まってくれば、そういうものは売れない商品に変わっていきます。ですからグリーンコンシューマーのニーズに合うことが、長い目では利益を得ることになるわけです。
 そういう人たちが考える「いいもの」は、社会的なニーズやコンプライアンスにも適合しますし、法律でも保護する方向に進んでいます。


Q.チーフ・コンプライアンス・オフィサー(CCO、井上の造語)のような人がいれば、事件は防げるでしょうか。

 その会社で責任をもってコンプライアンスを担う立場の人がいるのか、またどのあたりにいればコンプライアンスは機能するのかということだと思います。
 例えば不法投棄を会社が行った場合には、会社が罰されることになります。誰がやったら会社の行為なるのかは、相当幅があるわけですね。どこまでの責任を問えばいいのか非常に難しいんです。結局は、意思決定の仕組みを明らかにしなければなりません。
 そして同時にそういう人たちが、コンプライアンスを機能させるかの決定権ももっていることになるんですね。ですからCCOは会社のキーパーソンということになりまして、当然そのようなものがあればいいです。


Q.個人情報保護について、ある大学が江沢民氏の講演会の名簿を取締り当局に出したことに対して、東京高裁は慰謝料の支払を命じましたが、これは正当なんですか。


 法律家としては正当だという結論になりますね。
 社会的な課題としてみたときには、江沢民さんは普通の代議士や大学の教授とはちょっと違います。セキュリティを考えたら、来た人間のチェックぐらいは当然とも考えられるわけです。
 だけど法律的に分析していくと、江沢民さんを特化して区別すべき事由はないんです。むしろ参加する個人が思想チェックを受けているということにもなりかねないわけで、問題が大きいかもしれない。この結論は間違ってないと思います。


Q.内部告発について、公益通報者保護法ができましたが、本当に告発者は守られていますか。

 日本の場合は非常に緩いんじゃないかと思います。実際には、内部告発をした人は割りを食うことが多いので、この法律で内部告発を推奨して、社会にそれを役立てるという機能はあまり果たしてないんじゃないでしょうか。
 内部告発を避けるために、企業や行政も非常に巧妙な内部告発防止策を取っておりますので、実際には保護法だけをあてにして告発しても、安全だと思えるような状態ではさらさらない、というのが今の実情です。


Q.イオンがプリマハムにコンプライアンス契約書を要請しましたが、優越的地位の乱用ではないのでしょうか。

 独占禁止法に引っ掛かるかどうかは非常に難しいです。
 最近のIT関係の契約書をみますと、ソフトのキーとなるところを使って別のソフトに変えるのを防ぐために、非常に厳しい条件を課している場合がほとんどです。これもやりすぎると、自由な経済活動を妨げることになる。
 大手のスーパーが関連するスーパーにもレジ袋を有料にせよというのは、独占禁止法に引っ掛かると言われますが、まさにこれなんです。優越的な地位を利用するのと、いいことか悪いことかというのとは別の話ですから、引っ掛かる可能性があるということです。


Q.企業は株主代表訴訟や住民訴訟と大変な時代に、どのようなコンプライアンス体制を築く必要があるのでしょうか。

 会社の役員などが会社に損害を与えるような行為をした場合、会社は損害賠償の請求をします。株主代表訴訟とは、会社がなかなかその請求をしない場合に、株主が代わって訴訟を起こせるという制度です。しかし乱訴になって、今これを制限する方向にあります。
 一方で住民訴訟は広がりつつあります。
 訴訟を起こす場合、訴える者の適格性(当事者適格)に制限があります。例えば事件が起こった地域とは全く無縁な人は訴訟を起こせない。それは訴えの利益をどこまでに止めるかといった考え方から制限されています。
 その当事者適格がずいぶん広がりました。それは訴える個人の利益を守るというよりも、社会全体の利益を守っていこうという方向に変わってきたからです。

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